■時代を意識させられるバトル
『頭文字D』の作中でアルテッツァを操るのは、西埼玉の某チームを率いる秋山延彦。クレバーな男だからか、主人公・藤原拓海の操るハチロクを前にして、バトル前から勝利する気持ちがない。
後方からハチロクの走りを眺めながら走ることで、次に控える埼玉第二ラウンドにつなげようという。ロマンチックさのかけらもない結論だが、アルテッツァは最初から勝負を捨てていたのだ。
当然、バトルがスタートしてもアルテッツァの走りには精彩がない。実際はデビュー時に「ハチロクの再来」「ハチロクの走りを継ぐスポーツセダン」などと喧伝されたアルテッツァに対して、これではあまりにも無慈悲ではないかとFRセダンファンの嘆く姿が眼に浮かぶようだ。
しかし、これまでスペック的に勝る相手に対して勝利を収めてきたハチロク側の視点に立ってみれば、やはり4ドアセダンはAE86に対して重かったのだろう。
延彦のマシンにカリカリのハードチューニングが施されていたというなら話は別だが、そういうわけでもなさそうである。運動性能という意味では限りなくFRセダンの頂点にまで上り詰めたアルテッツァだったが、そのFRのルーツたるモデルに敗れるべくして敗れたのだった。
ただしバトル中、スタートからハチロクがスパートをかける第一ヘアピンまでの区間は、ハチロクとアルテッツァとのランデブー走行が見られる。3ドアハッチバックと4ドアセダンという違いこそあれ、トヨタ製FRの歴史を受け継ぎ、牽引してきた2台が縦列に並んで走る姿からは、勝敗を抜きにして、時代ごとのスタイリングの妙や自由度、進化などを意識させられる。
■数奇なモデルライフがもたらしたもの
アルテッツァのデザインは決して革命的なものではなかったが、トランクリッドに配置された丸型のリアライトに関しては、見る人に強烈なインパクトを与えた(もちろん今見るとそれほど過激とは感じられないが……)。
まるで同時代のセダンの指標のようにセンス良くまとめられたフロントまわりからすると、それはなかなかぶっ飛んだものだった。
1998-1999の日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞したが、2代目モデルが発売されることはなく、ブランド名も販売店も、走りの味付けさえ異なるレクサス ISにその跡を譲る形で、2005年に新車販売を終えることとなったアルテッツァ。
まるでそのリアデザインのように破天荒で数奇なモデルライフを送ったが、販売終了から15年が経った今では、カーマニアから支持され、ファンを生み出している。
年々クルマのメカニズムが複雑化していくなかで、駆動方式というのはすでに出揃っており、FRの特性や優位点というものは大きく変化していない。それでもFRのセダンとなると、現在、国産メーカーではトヨタと日産しか生産していない。
コストや効率が重要視される現代において、車種数こそ減ったものの、FRセダンが今もファンから評価され、求められ続けているという事実は、アルテッツァの存在が無ければありえなかったはずだ。
輝かしい魅力を備えていたが、時代的に不運の陰も付き纏ったアルテッツァ。もしも同車に2代目モデルが誕生していたら、はたしてFRセダンの歴史はどう変わっていたか。これからも、カーマニアたちの妄想が尽きることはないだろう。