『頭文字D』を彩った伝説の名車列伝10 トヨタ スプリンタートレノ(AE86型) 編

■作中で初めて羽が生える時

 『頭文字D』のバトルは、基本的にはトレノより優れた性能を持つマシンに対して、劣勢を覆す戦いでカタルシスを得るという構造になっている。

 今回の相手もトレノとは4世代ほど異なるS15型シルビアということで、同じコンパクトFRというジャンルだが、戦闘力は確実に劣勢だ。作中でケンタも「曲がる 止まる 加速する っていう3つのバランスは藤原のハチロクより確実に上だと思います」と言っている。

 しかし、トレノのドライバーである藤原拓海は、この物語終盤にきて、天才的なドラテクを神の領域まで昇華させている。結論から言ってしまうと、後追いでスタートしたS15シルビアがトレノを追い抜くことはない。

 では、この勝者のわかっているバトルにどんなドラマが見られるのか。それは同作において初めて、トレノの「羽」が視覚的に表現されるシーンが登場するという一点に尽きる。

 バトル序盤、霧のなかでバトルを見学していた乾信司が、「羽がある…」「鳥みたいな…白い羽だよ…」とつぶやき、その言葉どおりに片鱗が見えてくる。そして終盤のブレーキングバトル時に、「バシュ」という効果音とともに、大きな両翼がその姿をはっきり表すのだ。クルママンガとしては実に新鮮な演出で、このバトルの魅力を高めている。

 ではこの「羽」の意味とはいったいなんなのか。

■本能的な喜びを感じられる走り

 新車時期を過ぎて、『頭文字D』ブーム後に初めて試乗した筆者のような半可通でも、この「羽」は体感できた。とにかく操作性が高いのである。軽くて、ケツを振り回せて、コントローラブル。軽量FRスポーツの見本のような動きをする。当時の安全性能を考えると、若干無鉄砲な感じにも思えるが、インタラクティブ・カーとして、実によくできていた。

 足まわりはバタつく感じだったが、それなりにアクセルを踏んでいけば、この感覚が逆に心地よく、なんとも快適に感じられてきて、ずっと乗り続けていたくなる。ただハンドルを握っているだけで楽しかった青年の頃の魂を解き放たれるのだ。

 もしかしたら、このクルマのハンドリングや走行感覚には、「1/fゆらぎ」のような、人が本能的に感じる喜びが存在するのかもしれない。

 さらに同車は、(現代の基準からすれば)スペック的に乏しい内容ゆえ、チューニングの余地がかなりあり、オーナー各人の好きな解釈ができて、自身と重ねやすい。テクノロジーの進化によってクルマに搭載可能となったハイテク装備は人の興奮を生み出すものだが、一方で、身近な存在、思い通りになる存在への興奮も確かにある。

 想像と近い感覚の素晴らしい走りを味わえること。これが、作中でトレノに生える「羽」の説得力となっている。いうなれば、このトレノというクルマは、存在自体がひとつのリアルな物語なのである。

 縦横無尽に操れて、自由にいじることもできるから、一台一台に豊かなドラマが形成される。だからこのクルマは、人間的で、感動的なのだ。

■1話丸ごと掲載(Vol.574「天駆ける翼」)

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